部屋に置いていた置き時計を撤去しました。
一人暮らしなのに時間に縛られている自分に危機感を感じたからです。
私の家族は、というより母は、きっちり時間を守る人です。
家に帰ってきてから常に時間と戦っている母でした。
その心には「1分1秒でも早く布団に入って寝たい」という母なりの理由があったそうです。
そんな母とほとんど二人きりで過ごしていた幼少時代だったので(父は仕事人間で夜中に帰宅する毎日だったので)、私も常に時計を気にしながら過ごすことが癖になっていました。
お陰で遅刻とは無縁な、とてもきっちりした大人に育ったわけなのですが、時間を守りすぎる癖が私を苦しめることもあります。
誰かと一緒に行動しているときは、時間はとても重要なもので、他人との共通の基準になります。
ですが一人でいるときはどうでしょうか。
誰とも時間を共有していないのに、常に時間を気にして「昨日より1分遅い」とか「この家事を◯時までに終わらせないといつも通りじゃない」とか。
そして時間をきっちり守る癖がついている私は、このタイムアタックに常に勝たなければならないと自分に暗示をかけていました。
あるとき、全ての家事を時間通り終わらせたのに、嬉しくもなんともない自分に気づきました。
何でこんなに急いで家事をしているのだろうか。別に家事を終わらせてまでやりたいことも無いのに。
その気づきは無力感に繋がり、自分は何のために生きているのだろうか、と飛躍した思考に行き着いてしまいました。
苦しいし、とても危ない。
せっかく自分一人の空間を手に入れて好きなように時間を使える環境にあるのに、実家にいた頃と時間感覚がまるで変わっていません。
これからは自分だけの時間軸をつくって、自分だけの時間感覚で生きていこうと思い、部屋の時計を仕舞うことにしました。
時計を置いていた場所にはお気に入りのポストカードを置くことにしました。
その場所を時間を確かめるために見てしまう癖はなかなか抜けませんが、その度にお気に入りのイラストが目に入り、心がホッとできます。
何時までにご飯を食べよう。
何時までにお風呂に入ろう。
何時まで勉強しよう。
規則正しい生活を心がけましょうと言われた学生時代には、きっと「時間を守れる人間になりましょう」の意味もあったのだろうと思います。
もう時間を守れる大人になったので、この呪縛から自分を解き放ってしまうことにします。
お腹がすいたらご飯を食べよう。
入りたい気分のときにお風呂に入ろう。
集中力が持つまで勉強しよう。
誰に強制されなくても、自立できる大人はこんな風に自分だけの時間を楽しむんだと思います。