今日もエンターテイナーに生かされている

流行にはワンテンポ遅れて乗るタイプ

ジャニオタが得意な自分語りってやつ

初めに言っておくと、この記事に何の生産性もない。「はてなブログ ジャニーズ」で検索して面白そうな記事を片っ端から読む連休を過ごしていたらつい感傷的になってこんなことを書き出してしまった。供養するような気持ちで公開したのでもしお暇でしたら読んでみてください。

5歳のとき、香取慎吾くんを好きになってそこからずっと私の好きな芸能人はジャニーズの人だった。慎吾ちゃん→松潤→翔さん→長野くん。だから必然的に私のジャニオタ遍歴はSMAP→嵐→V6となる。それぞれ5歳~11歳、11歳~17歳、17歳~現在、各グループのファンをしている。私はそんなに担当グループを転々とするタイプではないし、複数のグループを掛け持ちできる器用さは持ち合わせていない。

SMAPファンから嵐ファンになったとき、ジャニーズ事務所には大きな大きな派閥問題があった。SMAPと嵐はそれぞれ違う派閥にいて、私は両方のグループを好きだったのに周りの同級生がSMAPを良く思っていなかったからSMAPが好きだと言えず両方のグループを好きでいることを諦めた。好きなグループを悪く言われることに耐えられず、自分を守るというような感じでSMAPから離れていった。FCに入るタイミングもなくコンサートにも行けなかったSMAP、今思えばずっと好きでいれば良かったのにと後悔せずにはいられない。

嵐ファンだった期間はとても楽しかった。同級生に同じように嵐を好きな友だちが多くとにかく嵐談義が止まらなかったし、ファン仲間には事欠かなかった。11歳のときに「そんなに好きなら・・・」と親からFC入会を許してもらえ、15歳で知り合いにチケットを譲ってもらって初めてコンサートに行くことができた。16歳で初めてコンサートに当選して名古屋まで遠征もした。12歳から毎年コンサート申し込みをしていたのに初めて当たったのが4年後とは今考えても嵐コンの倍率恐ろしすぎるな・・。

嵐ファンからV6ファンになったのは、嵐がフリー素材に見えるようになってきたから。1月は新年恒例特番ラッシュ、6月にワク学、8月に24時間TV、9月に国立、10月にアルバム発売、11月からドームツアー。毎年このスケジュール。1年が始まる前におおよその予想もついていて、いつ情報解禁されるかも推測が簡単だった。合間でリリースされる新曲は万人受けするように作られていて、毎回同じ曲調に聞こえて段々曲の区別がつかなくなった。ファンなのに曲の違いが分からずさらに新曲のタイトルが覚えられないなんて、もう私の生活に嵐は必要なくなったのだと感じた。その瞬間にひと思いに嵐ファンをやめた。そして気になっていたV6のファンをこれまで培ってきた行動力を武器に始めた。

V6ファンになって一番最初に行った現場はフォエバコンのグッズ参戦。嵐は朝6時くらいからドームに並び始めないとグッズが買えないという異常具合だったので、お昼からグッズ発売開始だった現場に拍子抜けしたことを覚えている。そして、V6があれからよく話してくれるリボンシャワー企画に参加することができたことは私の自慢になった。何かにつけてお金が必要だった嵐ファンが普通の感覚だった私、V6グッズを買い終わった横で「メッセージ企画」と書かれたテントを見つけたときに咄嗟に財布の中にある現金を数えた。これはいくら払えば参加できるのだろうか。恐る恐るテントに近づいてみるとファンの人たちがかごに入っている赤と白のリボン型の紙を取ってペンで一生懸命メッセージを書いていた。周りにスタッフさんはいたが誰もお金を受け取っていなかった。「え?無料?」と気付いたとき、私の後ろに並んでいた二人組の女性の会話が聞こえてきた。

「これって”大好きです❤”とか書いてもいいのかなー?」

「え―書きたい!書いてもいいもんかな?」

「えーでも図々しくない?」

「あーほんまや、どうしよっかー?」

「大好き大好き❤私だけを見て❤ほかの人は見ないで❤」といういわゆる”同担拒否”の文化が当たり前に存在していた嵐ファン界隈。それが普通だった私にとって、それはとても衝撃的な光景だった。大好きと伝えることに図々しさなんかあるはずなかろう。でもV6ファンにはどうやらそういう文化が浸透しているらしい。私はその時V6ファンになってまだ2週間で、大人の世界に足を踏み入れたような高揚感で高鳴る胸を押さえながら、震える手でリボンを取りペンで20周年の祝福の想いをしたためて回収ボックスに入れてその場を後にした。そして改めて周りを見渡してみると、数時間後にコンサートが始まるとは思えないほど辺りは静かでゆったりした時間が流れていた。その頃の嵐コンでは、中に入らないのにコンサート前のお祭り感覚を味わうために多くの人が集まっていた。そしてその中でコスプレをした人たちが撮影大会をそこらかしこで開催している光景が当たり前だった。今考えると異様な高ぶり方だった。そもそも文化もコンサートの規模も違うので比べるのは野暮かもしれないが、私は嵐の現場が世の普通だと思っていたある意味世間知らずの子供だったので、V6の現場で目にする何もかもがとにかく新鮮だった。

私は派手なことが好きではない。コンサートに行くのにお揃いの衣装をそろえるのも苦手だし、自担カラーのアクセサリーを身につけることも、慣れない化粧で自分を着飾ることもとても嫌だった。だけど嵐の現場に行くときに素朴な恰好は許されなかった(と勝手に思い込んでいた)。「何着ていく?」という誘いと買い物に付き合う時間は私にとって無駄な時間で苦痛だった。でも嵐ファンの友だちとの感覚のズレを修正する勇気は当時の私には無かった。そんな私にとってこの穏やかな現場はとても魅力的に感じた。今まさに好きになって応援していこうと思っているグループのファン文化は私の感覚にフィットしそうだ。ここなら長くいられるかもしれない。直感的にそう思った。その直感は今のところ当たっている。V6ファンになって7年目、気付けば一番長くファンをしているグループになっている。

もう担当を変えることはできればしたくない。SMAP、嵐を担当ではなくなったときもそうだったが、あれだけ好きだったグループを避けるようになるのが私の担降りだからだ。若い世代のグループに注目した時期もあったがCDを買ったりDVDを見たりするに至っていないので、しばらくここから離れることはできなさそうだ。だが分からない、嵐ファンだったときにも私は同じようなことを思っていた。嵐から離れられるはずがない、と。だけど私は嵐からV6に担降りし未だに嵐から苦手意識が拭いきれずにいる。拗らせてしまったこの感情はもう戻らないかもしれない。負の感情を持たないようにするために、ある程度自制は必要だというのが私の信条だ。