今日もエンターテイナーに生かされている

流行にはワンテンポ遅れて乗るタイプ

ジャニオタのアップデート

高校生の頃、同じクラスの女の子と帰り道の電車の中でこんな会話をしたことを思い出します。

 

「かしわちゃんって、V6ファンになったん?あんなに嵐好きって言ってたのに」

「うん、嵐はちょっと今距離置いててさ・・・」

「そうなんや。V6ってどれくらいファンいるん?V6ファンの人に出会ったことないわ」

「うーん、ファンクラブの会員番号は30万いかないくらい。少ないほうやな」

「30万で少ないって言っちゃうんや、ジャニーズって。私からしたらファンクラブがあるだけですごいことやと思っちゃうねんけど」

 

彼女はある声優さんのファンコミュニティにいるとそのとき教えてくれました。そこにはファンクラブが無いのでアニメを見ることしか応援する方法が無い、と。
ジャニーズに所属している時点で、何をしても注目されるそのフィールドが心底羨ましいと彼女は笑っていたのを覚えています。

 

私は「一位至上主義」が今よりもっと色濃かった頃からジャニーズしか見てこなかったし、その中でも規模が桁違いな嵐のファンを長くやっていました。
V6も規模こそ嵐に劣るものの確固たる地位を長い年月をかけて築いてきたグループです。
無意識のうちに一位至上主義が当たり前の世界のエンタメを浴びていました。

 

ジャニーズでは数字で判断されることがほとんど。
CDの売上、ファンクラブ会員数、デビューまでの年数、コンサートの動員数、その他色々。
何かにつけて数字が付きまとうジャニーズの活動を小学生のうちから追いかけていると、規模の大きさがそのグループの価値そのものだと思うようになっていました。

何が言いたいかというと、「ドラマは主演じゃないとすごくない」「そのドラマはゴールデンタイムじゃないとすごくない」「コンサートはドームを目指すもの」「最低でもアリーナツアー」「映画は劇場数が多くないといけない」「リリースは情報解禁の時点で予約終了が当たり前」こんな思い込みに縛られていたのが今までの私だということ。

嵐ファン時代に植え込まれたこの考えは、V6ファンになった時に変な劣等感として表れていたと思い返します。「会員数が30万人のV6はそんなにすごくないよ」そんなことを言いたかったんでしょうね、高校生の私は。


嵐の活動休止、V6の解散を経て、私は今ジャニーズファンの第一線から少し離れた世界に立っていると感じています。
この場所からエンタメ業界を見てみると、数字や規模に隠れていた、もっともっと繊細な世界があるように思えました。
誰に媚を売るわけでもなく、表現したいことを堂々と見せて、その表現が刺さった人だけに受け入れられれば十分。そんな万人受けを狙わない作品って、テーマがとても鋭利で明確で、かなり刺激的。今までそんな世界に触れてこなかった私には魅力的な世界に見えています。

 

昨日『デイアンドナイト』という映画を見て感じたことです。
今新しい世界の入り口に立っているようで心がときめいているので、分かったような口ききたくなってます。生意気盛りです。

 

年齢を重ねるにつれて考え方が変わってきているのを日々感じています。
あのとき思わなかったことを今思ったり、あのとき思っていたことを今感じなくなったり。
過去を否定するのは好きじゃないので、アップデートと呼ぶことにしました。
その時楽しいと思えることに一番時間を使って生きていたいです。 



追記
デイアンドナイト』はアマプラで配信中です。
ハッとさせられるような純粋な思いが表現されていて素敵な作品でした。


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